『平家物語』の舞台を歩く

  八坂神社 忠盛灯籠
(京都市東山区)

 (1)

『平家物語』(百二十句本)第56句「祇園の女御」の冒頭の一部です。

白河院は、祇園の辺に住む寵愛する女御をしばしば訪ねます。


あるとき殿上人一両人、北面少々召し具して、しのびの御幸のありしに、ころは五月二十日あまりの夕空のことなりければ、目ざせども知らぬ闇にてあり、五月雨さへかきくもり、まことに申すばかりなく暗かりけるに、この女房の宿所ちかく御堂あり。

この御堂のそばに、大きなる光りもの出で来たる。頭には銀(しろがね)の針をみがきたてたるやうにきらめき、左右の手とおぼしきをさし上げたるが、片手には槌の様なるものを持ち、片手には光るものをぞ持ちたりける。君も、臣も、「あな、おそろしや。まことの鬼とおぼゆるなり。

持ちたるものは、聞こゆる打出の小槌なるべし。こはいかにせん」とさわがせましますところに、忠盛そのころ北面の下臈(げらふ)にて供奉したりけるを、召して、「このうちになんぢぞあらん。あの光りもの、行きむかひて、射も殺し、切りも殺しなんや」と仰せければ、かしこまつて承り、行きむかふ。

内々思ひけるは、「このもの、さしもたけきものとは見えず。狐、狸なんどにてぞあらん。これを射もとどめ、切りもとどめたらんは、世に念なかるべし。生捕にせん」と思ひて、歩み寄る。とばかりあつてはざつとは光り、とばかりあつてはざつとは光り、二三度したるを、忠盛走り寄りて、むずと組む。組まれてこのもの、「いかに」とさわぐ。変化のものにてはなかりけり、はや、人にてぞありける。

そのとき上下手々に火をともし、御覧あるに、齢六十ばかりの法師なり。たとへば御堂の承仕(じょうじ)法師にてありけるが、「御あかし参らせん」とて、手瓶(てびょう)といふものに油を入れて持ち、片手には土器に火を入れてぞ持ちたりける。「雨は降る、濡れじ」と、頭には小麦のわらをひき結びかつぎたり。土器(かはらけ)の火に、小麦わらがかがやきて銀の針の様には見えけるなり。事の体(てい)いちいちにあらはれぬ。

君御感(ぎょかん)なのめならず、「これを射も殺し、切りも殺したらんには、いかに念なからんに、忠盛がふるまひこそ思慮ふかけれ。弓矢とる身は、かへすがへすもやさしかりけり」とて、その勧賞に、さしも御最愛と聞こえし祇園の女御を、忠盛にこそ賜はりけれ。

(『新潮日本古典集成 平家物語』(中)141-43頁)
 Cf. 林望『謹訳 平家物語』[ニ]239-41頁


(2)

京阪電車「祇園四条」駅で下車、南座を右に見て、四条通りを進むと、突き当りが八坂神社です。



西楼門の鮮やかな朱に目が釘付けになります。



ここからは入らずに、下河原通の石鳥居の方へ行きます。



人力車が目の前を通り過ぎ、有名な料亭中村楼の方へ走り去ります。



南楼門から舞殿が見えます。



この門を通ると、左に手水舎があり手を洗います。



舞殿には多くの奉納の提灯があり、中には知っている有名店の名もあります。



舞殿の左を行くと、本殿が見えます。



前に立って、大きさを実感します。



右の方に目をやると、



こちらにも鳥居があり、その手前左には「御神水」、



この隣には、大神宮社。中を見ると伊勢神宮のように、内宮(天照大御神)と外宮(鵜豊受大御神)の二社があります。



その左手前に、灯籠と説明板が二つあります。



これが『平家物語』にある「忠盛灯籠」です。





上の説明板には「祇園社乱闘事件」(!)のことが詳しく記されています。



ちなみにこの左手には、美御前社(うつくしごぜんしゃ)・悪王子社と並んでいて、こちらも見逃せません。


(3)

忠盛灯籠の話は川柳に詠まれています。

  化物を捕へて見れば油つぎ
麦藁をかぶるは威す気ではなし 
 (岡田甫『絵入 川柳京都めぐり』(有光書房, 昭和48年)42頁)


浮世絵の画題にもなっていて、小林清親(1847-1915)が描いています。


(「小林清親展」図録(板橋区立美術館, 1982)より ) 


また歌川国芳の「木曽街道六十九次」シリーズの内に「64 鳥居本 平忠盛 油坊主」があります。
   
   
     
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(2018(平成30)年6月17日)
 
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